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 当神社の創建された年代は明らかではありませんが、室町時代の文安年間(1444年~1448年)に、すでにこの地に赤川寺(せきせんじ)という天台宗の巨刹(大寺)がありました[赤川村の由来]。

 その境内に山王社(さんのうしゃ)または、山王権現と呼ばれた神社があり、御祭神は、比叡山の日吉大社の御分霊でありました。 


 赤川寺は、大坂夏の陣のとき戦火に炎上し、その後廃寺となりましたが、神社は類焼することなく、近郷の崇敬厚く氏神様として代々栄えてきました。

 明治三十二年淀川拡張工事のため境内地の北部分が接収され、本殿を約200m南へお遷ししたのが現在の場所です。
 山王社が「日吉神社」と改称されたのは、明治元年です。

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大山咋神(おおやまくいのかみ)

 大山咋神は、近江国(滋賀県大津市坂本)の比叡山におすまいになったので、山末之大主神(やまずえのおおぬしのかみ)とも呼ばれ、「丹塗り(赤い)矢」に祈りを込めて神威を現される(御霊験を示される)と伝えられています。そのため、鳴鏑大神(なりかぶらのおおかみ)ともいわれています。
 この神様は、民衆のために農事・水利・薬草等に御神力をつくされました。

御系統:須佐之男命(すさのおのみこと)→大年神(おおとしのかみ)→大山咋神

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