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当神社の由緒にありますように、神社の前身「山王宮」があった赤川寺[せきせんじ]の一隅に「役小角[えんのおづぬ]」(修験道の初祖)の石像をお祀りしたお堂がありました。大阪夏の陣で廃寺となる頃、この石像を赤川村に安置して、行者信仰としてあがめられてきました。

 昭和三十四年、当時の神社総代会長が行者堂を神社の境内に移設してお祭りしたいとの申し出があり、先代宮司が日吉大社と延暦寺との関係をも考え合わせて同意し、当神社の境内に行者堂を奉斎することとなりました。

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